何が不満なんだ、と言ってしまいそうになる――『僕のなかの壊れていない部分』
学歴がある。出版社で働いている。驚くほど記憶力がいい。女性にも好かれ、3人と同時に関係を持っている。
白石一文の『僕のなかの壊れていない部分』の主人公を外側から眺めると、そんな男だ。
何が不満なんだ、と言いたくなる。
ところが、この男は満たされていない。好意を素直に受け取れず、相手を試し、関係が深まりそうになると自分から離れていく。
それでも、単に恵まれた男として片づけられない。
外から見えるものは、ずいぶん当てにならない
仕事がある。お金がある。恋人がいる。
それで幸福かと言われると、そんなに簡単な話ではない。分かっているつもりでも、誰かの境遇を見ればつい羨ましいと思ったり、恵まれていると決めつけたりする。
この主人公には、人が集まってくる。それでも、誰かと深く結びつくことができない。
好かれることと、信じられることは違う。
僕にも、人から見えている自分と、自分の内側が一致していないと感じることがある。何事もなく仕事をして、普通に笑っていれば、周囲には大丈夫そうに見えるだろう。実際、大丈夫な部分もある。
でも、それで全部を説明されたら困る。
だから主人公の絶望にそのまま共感した、というより、外から他人を判断することの危うさが引っかかった。
「壊れていない」という言い方
題名も気になる。
「壊れていない部分」。
壊れた、とは言っていない。でも、わざわざ壊れて *いない* と言うのだから、その反対側を考えてしまう。
主人公は人を遠ざける。けれど完全に一人になりたいわけでもなさそうだ。信じられないのに、つながりを求める。矛盾している。
人間なんて、案外そういうものなのかもしれない。
外側に何を持っているかだけでは、その人のことは分からない。
そして、もっと厄介なのは、自分の内側についてさえ、本人が全部分かっているとは限らないことだ。
この本を読んで、すっきりした結論が出たわけではない。ただ、誰かを見て「十分恵まれているじゃないか」と簡単に言うことには、少しためらいが残った。
この記事で扱った本
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僕のなかの壊れていない部分