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『多動脳』を読んで · 読後エッセイ・自己理解

毎日の家事は忘れるのに、15時間は没頭できる――『多動脳』を読んで

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洗濯物を干すとき、服によって使うハンガーと、干していく順番が決まっている。

妻が決めた独自のルールがあるのだ。

説明を聞いたときは分かったつもりになる。ところが次に干すときには、どの服にどのハンガーを使うのか、何をどこから干すのかが分からなくなっている。

そして間違えて、また怒られる。

1度ならともかく、これを何度も繰り返す。毎日のようにやる家事なのだから、そのうち自然に覚えそうなものだが、なぜか覚えない。

自分でも、そこは不思議に思う。

15時間、動けなくなる

その一方で、仕事ではまるで別人のようになることがある。

ひとたび「これだ」と思うものが見つかると、パソコンの前から動かなくなる。気づけば15時間ほど作業を続けていることもある。

少し手をつけただけでは終わらない。止まるころには、手をつけたものがほぼ出来上がっている。時間はかかっているが、成果もそれなりに大きい。

家の中でも、その状態はもう知られている。

普段なら食事はゆっくり取りたい。ところが、そういうときは食べている間にも次にやることが次々と思い浮かぶ。咀嚼もそこそこに食事を済ませ、すぐデスクへ戻ってしまう。

パソコンに向かって止まらなくなると、家族も「今はそういう状態だ」と察して、話しかけない。

毎日の家事の手順は覚えられないのに、興味を持った仕事には15時間も没頭できる。

以前は、この差をうまく説明できなかった。

できないことは、自分の努力や注意が足りないからだと思っていた。一方で、長時間の集中については、仕事だから頑張れているだけだと考えていた。

両者は、まったく別の話だと思っていた。

同じ性質の違う現れ方

アンデシュ・ハンセンの『多動脳―ADHDの真実―』は、注意がそれやすいことや、そそっかしさといった弱点だけでなく、探究心や創造性、ひとつの対象へ深く入り込むハイパーフォーカスにも目を向けた本だ。

この本を読んで、別々だと思っていた自分の性質が、一本の線でつながったように感じた。

毎日繰り返す細かな手順は、なぜか頭に残りにくい。ところが、興味を持った対象には、周囲が見えなくなるほど集中する。

どちらも同じ性質の、違う現れ方なのかもしれない。

もちろん、忘れっぽさがそのまま能力になるわけではない。

ハンガーを間違えても、洗濯物がうまく干せるわけではないし、怒られなくなるわけでもない。15時間の没頭も、いつでも都合よく使える能力ではない。自分の意思で簡単にスイッチを入れたり、切ったりできるものでもない。

だから、自分の弱点が実はすべて長所だった、とまで言うつもりはない。

ただ、弱点と長所が完全に別々に存在しているわけではなく、同じ性質から両方が出ているのかもしれない。そう考えられたことは大きかった。

忘れる自分を責めなくなった

以前は、忘れるたびに自分を責めていた。

どうしてこんな簡単なことができないのか。なぜ昨日教わったことを、また間違えるのか。積み重なると、失敗した家事だけでなく、自分全体に問題があるような気がしてくる。

本を読んだからといって、急に記憶力が良くなったわけではない。少なくとも、私がこの本から持ち帰ったのは、忘れっぽさの克服法ではなかった。

今もハンガーを間違えるし、順番も忘れる。そして怒られる。

そのときは反省した顔をする。ただ、心の中では以前ほど自分を責めなくなった。少し開き直っている。

直せるところは直したほうがいい。迷惑をかけたなら謝ったほうがいい。それでも、できないことのたびに、自分全体を欠点として扱う必要まではない。

毎日の家事を忘れる自分と、15時間パソコンに向かえる自分は、どちらも同じ自分なのだ。

『多動脳』を読んで腑に落ちたのは、弱点が消える方法ではなかった。

消えない弱点を抱えたままでも、自分の見方は変えられるということだった。

この記事で扱った本