ふざけた案が、企画を明後日の方向へ連れていく――『考具』を読んで
あるサービスの名前を考えていたときのことだ。
最初から、立派な名前をつけようとは思わなかった。
思いつくままに、ふざけた案ばかりを10個ほどホワイトボードに書き出した。そこに並んだのは、採用されそうな名前というより、笑わせるための名前ばかりだった。会議というより、ほとんど大喜利だった。誰がいちばん笑わせられるか。そんな空気で案を出していた。
普通なら、そこから真面目な検討に戻るのだと思う。
ところが、その中のひとつが、そのまま正式なサービス名になった。
最初は笑っていたのに、あらためて見てみると、その名前がサービスの特徴を意外なほどよく表していたからだ。いまでも、名前にインパクトがあると言われるらしい。
結果だけ見れば、最初からよく考えて名づけたようにも見える。
実際には、その逆だった。
役に立つ案を出そう、説明しやすい案にしよう、反対されない案にしよう。そういう判断をいったん脇に置いたから、出てきた名前だった。
ふざけた案から始まる
『考具』は、アイデアを生み、企画へ育てていくための方法を扱った本だ。
読んだ当時、まったく新しい発想法を教えられたというより、自分が感覚的にやっていたことを確認できた感覚のほうが強かった。なかでも、ブレーンストーミングについては「やっぱりそうか」と思った。
ひとりで考えるとき、私はまず、思い浮かぶ言葉や出来事の断片を書き出す。
ただ、それらを机の上ですぐにつなぎ合わせようとはしない。
書くだけ書いたら、いったん離れる。慣れた作業をしているときや、風呂に入っているとき、エレベーターを待っているとき、ぼんやりテレビを見ているとき。頭の片隅に断片だけを残し、そのままにしておく。
すると、少しずつ答えに近づくのではなく、ある瞬間にまとめて出てくることがある。
企画の中心だけではない。コピーの一部も、次にやることも、関係者へ説明するときの言葉まで、一緒に現れる。
その瞬間は「これしかない」と思い、慌ててメモを取る。半分は思い込みなのかもしれない。それでも、あとで読み返すと、そのまま使えることが多い。
誰かの一言で跳ぶ
人と考えるときは、少し違う。
自分ひとりでは選ばなかった方向へ、誰かの一言が話を飛ばしてくれる。そこに別の人が言葉を重ね、さらに誰かが面白がって話を広げる。正解へ一歩ずつ近づくというより、全員で明後日の方向へ跳んでいく。
そして案外、そこに使えるものがある。
先のサービス名も、そうして生まれた。
もちろん、ふざければ必ず良い企画になるわけではない。面白いだけで、何にも使えない案もたくさんある。むしろ、そのほうが多い。
ただ、最初から実現性や説明のしやすさばかりを気にしていると、見覚えのある安全な案しか残らない。
大喜利のような悪ノリには、その判断を少し遅らせる働きがあるのだと思う。
笑えるかどうかだけで競っているうちに、普段なら自分で止めてしまう言葉が外へ出る。その場では冗談にしか見えなくても、笑いが収まったあとで見直すと、対象の特徴だけは妙に正確につかんでいることがある。
捨てずに置いておく
良いアイデアは、最初から良い顔をして現れるとは限らない。
くだらない冗談や、説明しにくい違和感や、まだつながっていない言葉の断片。その段階で捨てずに置いておくことも、考える作業の一部なのだろう。
『考具』を読んでから急に発想が変わったわけではない。
ただ、自分がぼんやり続けてきたやり方を、これでいいのかもしれないと思えるようになった。
だから今でも、最初の案出しでは少しくらいふざけていたほうがいいと思っている。
真面目な企画ほど、ときどき明後日の方向へ跳ぶ時間が必要になる。
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