相手にされたことばかり覚えていた――『一週間で自己変革、「内観法」の驚異』
人間関係で嫌なことがあると、相手に何をされたか、何をしてもらえなかったかは、よく覚えている。
では、自分は相手に何をしてもらっていたのだろう。反対に、何をしてきただろう。
石井光さんの『一週間で自己変革、「内観法」の驚異』を読んだとき、僕に残ったのは、この視点だった。
当時は仏教に興味があった。寺を訪ね、般若心経や光明真言を覚えたりもしていた。長い年月を経ても残る考え方や、自分の心との向き合い方に惹かれていたのだと思う。
その頃に知った言葉が「内観」だった。
頭ひとつでできる、単純だけど深いこと
新しい道具や技術には、その時代ならではの便利さがある。一方、どこにいても、自分の内側を振り返ることはできる。
特別な道具はいらない。自分の頭ひとつで始められる。
僕が面白いと思ったのは、その単純だけど深いところだった。
本を読んだあと、形式どおりではないものの、自分なりに内観を試してみた。
友人、交際相手、仕事で関わった人たち。過去の関係をたどっていくと、当たり前のように受け取っていた助けや配慮が思い浮かんだ。
同時に、自分の都合だけで相手を見ていたことにも気づかされた。
相手への不満は、放っておいても出てくる。自分が相手に与えた負担を、同じ熱心さで思い出していたかといえば、そうではなかった。
感謝と申し訳なさが、両方あった。
習慣にはならなかったけれど
内観法を、今も決まった形式で続けているわけではない。
それでも、人間関係で問題が起こったとき、自分の側も振り返ろうとする姿勢は残っている。
相手が悪くなかった、という話ではない。自分を責めればすべて解決する、という話でもない。ただ、見えていなかった側を確かめると、同じ出来事の捉え方が変わることがある。
若い頃は自分を変える方法を探していた。けれど、この本で惹かれたのは、流行の技術とは違う、ごく地味な行為だった。
相手を考える前に、自分が何をしてもらい、何をしてきたかを思い返す。
時代が変わっても、場所が変わっても、それはできる。今もそこに、この考え方の魅力を感じている。
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一週間で自己変革、「内観法」の驚異