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『仕事するのにオフィスはいらない』を読んで · 読後エッセイ・仕事の経験

オフィスはいらなくなった。でも、仕事の終わりもなくなった――『仕事するのにオフィスはいらない』を読んで

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ディズニーランドの行列に並んでいた。

待ち時間は長い。少しくらいならいいだろうと思い、ポケットからスマホを取り出した。

仕事の連絡を確認し、返せるものに返事をする。ただ画面を見ていただけのつもりだったが、いつの間にか難しい顔をしていたらしい。

妻が言った。

「全然楽しくない」

たしかに、家族で遊びに来ている人の顔ではなかったのだと思う。

「ごめんごめん」とスマホをポケットにしまう。

ところが、しばらくするとまた取り出して見てしまう。

懲りないタイプなのだ。

本を読んだのは、コロナ前だった

佐々木俊尚さんの『仕事するのにオフィスはいらない』を読んだのは、コロナ禍よりも前だった。

当時、私もすでに場所を選ばず仕事をするようになっていた。だから、本に書かれている働き方を遠い未来の話としてではなく、「やっぱりそうなるよな」と納得しながら読んだ記憶がある。

仕事に必要なものがパソコンやインターネットの中へ移れば、毎日同じ場所へ集まらなくても進められる。

どこにいるかより、何をするかのほうが重要になる。

その後、コロナによって、働き方の何もかもがパラダイムシフトを余儀なくされた。

それまで一部の人だけがしていたことを、多くの人が一斉に始めた。自宅で仕事をし、離れた場所から打ち合わせをし、同じ場所にいない相手と作業を進める。

オフィスにいなくても、仕事は回る。

それが特別な話ではなくなった。

しかも、仕事ができる場所は自宅に限らない。

電車で移動している途中でも、行列に並んでいる間でも、スマホを開けば連絡を確認できる。短い返事なら、その場で済ませられる。

便利になった。

間違いなく便利にはなったのだが、その便利さには裏側があった。

仕事をする場所を選ばなくてよくなった代わりに、仕事をしない場所までなくなった。

以前なら、オフィスを出ることに分かりやすい区切りがあった。少なくとも、仕事をしている場所と、そうでない場所は物理的に分かれていた。

境界はポケットの中にある

今は、その境界がポケットの中にある。

通知が来る。少し気になる。確認するだけのつもりで画面を見る。すぐ終わる返事をひとつ送り、そのついでに別の連絡も見る。

本人の感覚では、空いた時間を有効に使っているだけだ。

ディズニーランドの行列も、ただ待っている時間に見える。どうせ並ぶなら、その間にひとつでも仕事を進めたほうが合理的だと思ってしまう。

けれど、家族にとっては違う。

アトラクションに乗っている時間だけが、一緒に過ごす時間ではない。次に何へ乗るか話したり、周りを眺めたり、くだらないことを言ったりする行列の時間も含めて遊びに来ている。

そこでひとりだけ仕事へ戻れば、残された側が「全然楽しくない」と思うのも当然だ。

オフィスから解放されることと、仕事から解放されることは、同じではなかった。

場所に縛られなくなった人には、いつ仕事を始め、いつ終えるかを自分で決める責任が残る。

そう書くと、きちんと時間を区切り、休日にはスマホを見ないようになった、と続きそうなものだ。

今も懲りない

残念ながら、そうはなっていない。

今でも気づけば仕事を確認し、その都度怒られている。

場所を選ばず働ける自由は、手放したくない。それでも、自由とは、どこでも仕事をすることだけではないはずだ。

仕事をしない時間を自分で選べることも、同じくらい大切なのだと思う。

オフィスは、もう必ずしも必要ではない。

ただし、仕事をポケットへしまう場所は、自分で作らなければならない。

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