忘れても、過ごした時間はなくならない――荻原浩『明日の記憶』
『明日の記憶』を読んだのは、認知症という病気を今ほど身近に考えていなかった頃だったと思う。それでも、少しずつ記憶を失っていく主人公と、その隣で夫を支える妻の姿は強く残った。原作を読んだあとに映画も観たが、映画も原作に負けず、すごくよかった。
物語の主人公は、広告代理店で働く佐伯雅行。仕事の第一線にいた彼が、人の名前を思い出せなくなり、予定を忘れ、通い慣れた道で迷うようになる。やがて若年性アルツハイマー病と診断され、これまで当たり前にできていたことが、一つずつ失われていく。
自分が自分でなくなっていく怖さ
主人公は働き盛りであり、仕事にも自負がある。長年積み上げてきた経験があり、自分の判断で部下を動かし、責任を負ってきた。そんな人物だからこそ、できていたことができなくなっていく現実を、簡単には受け入れられない。
忘れないようにメモを取り、どうにか今までの自分を保とうとする。しかし、病気は本人の努力や意志の強さだけで止められるものではない。記憶がこぼれ落ちるたびに、仕事人としての誇りや、自分は自分であるという感覚まで奪われていくように見えた。
そこには恐怖だけでなく、自責の念もあったと思う。仕事で周囲に迷惑をかける。家族にも負担をかける。自分ではどうすることもできない病気なのに、主人公はその責任まで自分で背負おうとする。
当時もその苦しさは感じたはずだが、今は自分たちのことや親のことにも重ねてしまう。主人公と年齢が近くなり、認知症が遠い世界の話ではなくなったからだろう。もし自分が同じように記憶を失っていったらどうするのか。反対に、家族から自分のことを忘れられてしまったら、どう受け止めるのか。今読み返せば、以前よりもずっと現実感が増す。
多くを語らず、そっと寄り添う妻
この作品でもう一人忘れられないのが、妻の枝実子だ。夫を励ます立派な言葉を次々に口にするわけではない。病気を前にして動揺し、傷つきながらも、夫のそばにいる。
その姿は、単純に「献身的な妻」という一言では言い表せない。夫婦として長い時間を一緒に生きてきたからこその悲しみや、これから起きることへの覚悟がある。忘れられてしまう側にも生活があり、感情がある。支える人が強いから耐えられるのではなく、つらさを抱えたまま、それでも目の前の相手に寄り添っているのだと思う。
映像になって残った場面
映画では、佐伯を渡辺謙さん、枝実子を樋口可南子さんが演じている。とにかく惹き込まれる演技力が半端ない。原作で想像していた人物や場面が、俳優の表情や声、動きによって具体的な姿を持った。
なかでも、忘れたくなかったはずの妻のことまでわからなくなってしまう場面は堪らない。今思い出しても泣ける。妻は夫との時間を覚えている。けれど、夫の側からは、その時間も、目の前にいる妻が誰なのかということさえ失われていく。多くを語らず、ただ夫のそばにいる妻の姿が、かえって悲しさを強くする。
重ねた時間は、どこへ行くのか
たとえ記憶を失っても、二人が一緒に過ごした時間まで、なかったことになるわけではない。積み重ねた日々は確かに存在した。その事実には、救いがあると思いたい。
ただ、それは過去には戻れない自分に、強がって言い聞かせる言葉でもある。忘れても時間は残る、と言うことはできる。それでも、かつて同じ記憶を分かち合っていた相手が、その思い出も、自分のことも忘れてしまう現実が残酷であることは変わらない。
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明日の記憶