カオスがこちらにまで移ってくる――『ドミノ』『ドミノin上海』を読んで
パンダを見ると、なぜか『ドミノ』を思い出す。
ところが確認してみると、脳裏に焼きついている吹っ飛ぶパンダは、続編の『ドミノin上海』のほうだった。
「あれ、パンダは上海だっけ?」
2冊とも一気に読んだせいで、頭の中ではすっかり一続きになっている。物語の中で次々と人や出来事が巻き込まれていったように、私の記憶までカオスに巻き込まれたらしい。
夜中まで止められなかった
『ドミノ』も『ドミノin上海』も、めちゃくちゃ面白かった。
どちらも夜中まで一気に読んだ。
登場人物は多い。最初はそれぞれ別の場所で、別の事情を抱えて動いている。話が切り替わるたびに、「この人は、さっきの人とどうつながるんだ?」と思う。
少し分かりかけたと思ったら、今度は別のところで問題が起きる。一つ片づくどころか、次々と事態が悪化していく。
「もう十分ややこしいのに、まだ増えるのか!」
そう思いながら、ページを閉じる気にはまったくならなかった。
バラバラの話が、勢いよく倒れ始める
面白かったのは、単に騒ぎが大きくなることだけではない。
無関係に見えていた人たちの行動が、別の人の出来事に触れ、またその先へ影響していく。小さな動きが次の一枚を倒し、気づけば全体がものすごい勢いで走り始める。
散らばっていた話がつながるたび、「そこにつながるのか」と気持ちよくなる。
読んでいるこちらには、すべてが見えているわけではない。誰がどこで何に巻き込まれるのかも分からない。それでも、バラバラだったものが最後には一つの大きな流れになるはずだという期待だけは膨らんでいく。
ハラハラする。ドキドキする。そして、つながるたびに爽快になる。
その繰り返しで、眠るタイミングを完全に失った。
身近にないから、面白い
自分の仕事や暮らしに、同じような経験があるかと考えてみた。
ない。
こんなことは、身近になさすぎる。
小さな行き違いや予定外の出来事ならある。けれど、それが大勢の人を巻き込み、偶然に偶然が重なって、あれほど大掛かりな騒動へ育っていくことはまずない。
だから面白いのだと思う。
本を読むたび、何かを学んだり、自分の経験と結びつけたりしなくてもいい。現実には起きそうもない騒動へ放り込まれ、安全な場所から存分に振り回される。
読み終えたあと、「いやあ、面白かった」と言えれば、それだけで十分な本もある。
最後に残った、吹っ飛ぶパンダ
最初の『ドミノ』を読んだときは、バラバラの話が一気につながる構成そのものに驚いた。
続編の『ドミノin上海』では、そのカオスがさらに遠くまで走っていった。最後に読んだからなのか、今も強く残っているのは、吹っ飛ぶパンダの情景である。
細かな順序は、すでにかなり怪しい。2冊の出来事も混ざっている。
それでも、ページをめくる手が止まらず、夜中まで物語の勢いに押され続けた感覚は残っている。
そして街でパンダを見かけると、また思い出す。
「あれ、これはどっちの『ドミノ』だったっけ?」
たぶん、そんなふうに記憶まで巻き込んでしまうところまで含めて、この2冊の読後なのだ。