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『イン・ザ・ミソスープ』を読んで · 読書感想・書評

夜の新宿で、何が起こるかわからない――村上龍『イン・ザ・ミソスープ』

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『イン・ザ・ミソスープ』は、僕の中では村上龍の「絶望・退廃系」に入る。以前、『限りなく透明に近いブルー』や『ストレンジ・デイズ』について考えたときにも、この系統の作品には、ただ暗いだけではない過激なエネルギーがあると感じた。この本もそうだ。ただ、読んでいるときの感覚を一言で言うなら、まずは狂気のホラー作品だったと思う。

主人公のケンジは、外国人客に夜の性風俗街を案内している。アメリカ人のフランクを連れて新宿を歩くうちに、相手への違和感と、何が起こるかわからない緊張が強まっていく。設定だけなら、危険な客と出会った青年のサスペンスとして読める。けれど、読後に残っているのは、事件の手順よりも、夜の街全体を覆う不穏な空気だ。

いつ暴力が始まるかわからない

この作品の怖さは、フランクが何をする人物なのか、安心して判断できないところにある。ケンジと一緒に歩きながら、相手の様子をうかがう。いまは何事もなく会話していても、次の瞬間には取り返しのつかないことが起こるかもしれない。そんな緊張が、ページを進める間ずっと続く。

暴力の描写にも圧倒された。そこを穏やかに言い換えて、この作品を語ることはできないと思う。一方で、残酷な場面をただ並べた本という印象でもない。怖さに押されながら、村上龍の文章が持つ勢いに引き込まれていく。目をそらしたくなるものを書いているのに、読み手の目を先へ向けさせる力がある。

夜の街そのものが不気味だった

もう一つ強く残っているのは、舞台となる夜の新宿だ。人が集まり、欲望に応じる場所がいくつもある。にぎやかなはずなのに、どこか人と人との間に距離があるように感じる。フランクへの警戒と、街の退廃的な空気が重なって、逃げ場のない怖さになっていた。

ケンジには案内役として街を知っている面がある。それでも、客として現れたフランクのことはつかみきれない。見慣れているはずの場所が、同行者によって別の顔を見せる。その感覚も、単に恐ろしい人物が登場する小説とは違うところだと思う。

怖さの奥にある風刺

ホラーとしての衝撃が強い一方で、この作品には何か風刺的なものも感じた記憶がある。フランクという外から来た人物の視線を通して、日本の姿が浮かび上がるのだろうか。そう考えることはできる。ただ、自分が当時そこまで明確に読み取っていたかというと、わからない。

誰か一人の狂気だけを見て終わる話ではない、という感覚のほうが近い。夜の街にいる人々や、そこで交わされる言葉も含めて、こちらが普段は見ないようにしているものを突きつけられる。何かのメタファーなのかもしれない。けれど、その意味をひとつの答えにまとめると、かえって読んだときの居心地の悪さが消えてしまいそうだ。

結末に何を思ったかは、もうはっきり覚えていない。ただ、暴力に圧倒されるだけでなく、その向こうに何かがあると感じたことは残っている。そこも、村上龍の作品を読みたくなる理由の一つなのかもしれない。

狂気も暴力も、気軽に人へ薦められる種類のものではない。けれど、この過激さと勢いこそ、僕が村上龍の小説に惹かれるところでもある。怖くて、荒々しくて、その先に何が書かれているのかを確かめずにはいられない。『イン・ザ・ミソスープ』は、その力をホラーとして強く味わった一冊だった。

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