結論から話せばいい。分かってはいる――『理科系の作文技術』を読んで
どちらかといえば、私は結論を後ろへ置く。
断定するより、少し曖昧さを残したい。前提や経緯を話し、あちらへ寄り道し、こちらも気にしながら、最後にようやく言いたいことへたどり着く。
文章なら、それが味になることもある。
しかし会話では、そうとは限らない。
「それで、何が言いたいの?」
何度そう言われてきたことか。
自分でも、どうにかしたいとは思っていた。そこで読んだのが、木下是雄さんの『理科系の作文技術』だった。
文系らしい言い回しを好む自分からすると、理科系の文章はほとんど反対側にあるように見えた。結論を明確にし、必要な情報を選び、相手が迷わない順番で示す。
「逆側から見たら、文章はどう見えるのだろう」
そんな興味で手に取った記憶がある。
一時期、結論から書く人になった
読んだあとは、しばらく意識して型を使った。
最初に結論を書く。次に「なぜならば」と理由を続ける。
報告や連絡では、たしかに分かりやすい。相手は、話の着地点が見えないまま説明の中を歩かされずに済む。何を判断すればよいのかも、早い段階で分かる。
自分にとっては、文章の書き方というより、頭の中の情報を相手が受け取りやすい順番へ並べ直す訓練だったのかもしれない。
いい刺激にはなった。
ただ、何でもこの型で書けばよい、とまでは思わなかった。
買いたいものがあると、外堀から埋める
そのことがよく分かるのが、家族へ何かを相談するときだ。
たとえば、買いたいものがある。
素直に「これを買いたい」と言えばいいのに、まず背景から説明する。なぜ必要なのか。いま何が不便なのか。買えばどんな利点があるのか。これは決して衝動買いではないのだと、聞かれてもいない弁明まで始まる。
お願いを先に出すと身勝手に聞こえそうで、こちらとしては丁寧に説明しているつもりなのだ。
しかし、家族は付き合いが長い。
数分も待たずに、「さては何か買いたいんだな」と察している。
こちらが外堀を一周するころには、相手はもう本題を待ちくたびれている。やたら説明が長いと、納得してもらうどころか、だんだんイライラさせて逆効果になる。
聞いていられない、という顔をされたあたりで、ようやく結論を言う。
『理科系の作文技術』を読んだからといって、長年の癖が簡単に直るわけではない。さして変わっていない。
ただ、相手の顔を見て途中から本題へ切り替えるくらいにはなった。
分かりやすさにも、使いどころがある
それでも、結論を先に置く技術は知っておいてよかったと思う。
仕事の報告なら、相手が最初に知りたいのは結論であることが多い。問題が起きたのか。判断が必要なのか。期限はいつなのか。そこを後ろに隠したまま経緯から話せば、受け手は落ち着かない。
一方で、人を納得させたい企画では、結論だけを先に置くと拒否されることもある。相手の関心や立場に合わせ、どの順番なら受け入れやすいかを考えたほうがいい。
そして、小説やエッセイまで、すべて結論から始めたら味気ない。読み手と一緒に迷い、考え、最後に見えてくるものもある。
文章には目的がある。
正確に伝える文章と、余韻を残す文章。早く判断してもらう文章と、ゆっくり考えてもらう文章。どちらが優れているかではなく、どちらを使う場面なのかが大事なのだと思う。
『理科系の作文技術』は、自分とは反対側の書き方を教えてくれた。
その型に自分を入れ替えることはできなかった。けれど、必要なときに反対側へ渡る橋は持てた。
まあ、家族へのお願いごとでは、今も橋を渡る前に外堀を回っているのだけれど。
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