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『わたしを離さないで』を読んで · 読書感想・書評

普通の毎日だったはずなのに――カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』

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『わたしを離さないで』は、『わたしたちが孤児だったころ』と近い時期に読んだ。2冊のうち、内容をより強く覚えているのはこちらだ。

最初は、施設で育った子どもたちの学校生活を読んでいるつもりだった。友達との距離感が変わったり、誰かの言葉に傷ついたり。自分たちだけの決まりごとがあって、大人には聞きにくいこともある。そういう話として読み進められるのに、どこか変だ。何が変なのか、まだうまく言えない。

主人公のキャシーが振り返るのは、ヘールシャムで一緒に育ったルースやトミーとの日々だ。その頃には何でもなかったように思えた出来事が、あとになって違う意味を持ち始める。真相を知ってから前半を思い返すと、何気ない場面まで悲しく見えた。

楽しそうに見えるから、怖い

ヘールシャムでは子どもたちが絵を描き、友達を作り、喧嘩もする。毎週の健康診断や、保護官と呼ばれる大人たちの態度には引っかかるものがあるけれど、日々の大半は穏やかに進む。

この穏やかさが怖かった。

もっと露骨に恐ろしい施設として描かれていたら、初めから身構えて読めたと思う。けれど、キャシーたちはそこで普通に笑い、誰かを気にし、仲直りできないまま時間を過ごす。読んでいるこちらも、つい子どもたちの関係を追ってしまう。その間にも、彼らの将来は決められている。

キャシーが昔を語る調子も静かだ。何か重大なことを告発するようには話さない。そのため、読む側が気づくのが少し遅れる。あの言葉はそういう意味だったのか。あの大人の態度には理由があったのか。わかった瞬間、前のページへ戻って確かめたくなる。けれど、戻って読み直しても、彼らの未来は変わらない。

彼らにも、好きな人がいる

キャシー、ルース、トミーの関係も忘れられない。近くにいるから何でも素直に話せるわけではないし、相手を大切に思っていても、余計なことを言ってしまう。恋愛も友情も、すれ違ったまま過ぎる時間がある。

それは珍しいことではない。僕らにもある。だからこそ、この三人の場合は切ない。

「あとで話せばいい」「もう少し時間がたてば、うまくいくかもしれない」。そんなふうに考えたくなるのに、彼らにはその「あとで」が十分に与えられていない。誰を好きになるかも、誰とどう過ごすかも、本人たちにとっては大切なことだ。それなのに、彼らを取り囲む世界は、その大切さをまともに受け取ろうとしない。

恋愛の話として読んでいた気持ちが、途中から別の苦しさを帯びる。すれ違いが惜しいだけではない。もし三人に、自分たちの人生を選ぶ自由があったなら。そこまで考えて、そんな当たり前のことさえ許されない世界なのだと気づく。

ここから先は、物語の核心に触れます。未読で設定を知りたくない方は、この先を読まずに作品へ進んでください。

わかってからも、日常は続く

彼らが「提供者」として生きるために育てられてきたとわかる。僕にとって、ここからの重さは特別だった。衝撃的な真相が明かされて終わりではない。キャシーたちの日常は、そのあとも続く。

おそらく僕が思い描くディストピアなら、もっとわかりやすい支配者がいて、そこへ反抗する話になる。でもこの本では、恐ろしい仕組みが暮らしの中にすっかり入り込んでいる。人として友達を作り、人を好きになり、過去を懐かしむ彼らが、社会からは人として扱われていない。そのことが、読めば読むほど苦しい。

「逃げればいいのに」と外から言うのは簡単だ。彼らはその世界で育ち、自分たちの人生について教えられ、それを日々の前提としてきた。選べる道をほとんど示されないまま生きてきた人に、突然こちらの考える自由を求めることはできない。むしろ、日常が日常として続いてしまうところに、ぞっとした。

読み終えても、すっきりしない

この本を思い出すと、切ない恋愛と、救いのない世界が一緒に浮かぶ。どちらか一方だけなら、ここまで残らなかったかもしれない。好きな人と過ごしたいという気持ちがある。友達との昔話もある。そんな普通の人生の手触りがあるのに、その先を自分たちでは決められない。

もっと別の生き方を選ばせてあげてほしかった。そもそも、なぜ彼らを人として見ないことが許されるのか。読み終わってからも、そんな思いが残った。

でも、彼らの日々がすべて悲しみだけだったとも言いたくない。笑った時間も、誰かを好きだった時間も、確かにあった。だからこそ余計につらいのだけれど。

『わたしを離さないで』には、読み終えて安心できる答えがない。今も思い出すと、三人の関係の切なさと、その人生を囲んでいた静かな残酷さが一緒によみがえる。重い。けれど、忘れられない一冊だ。

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