帰りたかった上海は、記憶の中にある――カズオ・イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』
『わたしを離さないで』が何かで話題になった頃、『わたしたちが孤児だったころ』も読んだ記憶がある。何をきっかけに話題になっていたのか、今は思い出せない。ただ、2冊を近い時期に読み、どちらにも悲しく、切なく、苦しい世界があったことは覚えている。
より強く記憶に残っているのは『わたしを離さないで』のほうだと思う。それでも『わたしたちが孤児だったころ』には、別の形で残っているものがある。上海という街と、そこに子ども時代を置いてきた人が、長い時間を経て過去に向き合う姿だ。
探偵が追いかける、子どもの頃の出来事
主人公のクリストファー・バンクスは、幼い頃に暮らした上海で両親が相次いで姿を消し、イギリスへ渡る。大人になって探偵として名声を得た彼は、両親の行方を追うため、再び上海へ向かう。謎を解く人物が、自分自身の人生を変えた謎を追う。あらすじだけを見れば、探偵小説としての面白さも期待できる。
けれど、この本について今思い出すのは、真相に迫る爽快さではない。子どもの頃に信じていたことが、大人になってからの現実と重ならなくなる切なさだ。幼い自分に見えていた世界は、そのときは確かなものだったはずだ。年月がたち、同じ出来事をもう一度見つめようとすると、そこには知らなかった事情も、自分が思い描いていたものとは違う現実もある。
両親の行方を知りたいという願いには、出来事の答えを見つける以上のものが含まれているように感じる。自分の子ども時代を理解したい。その頃に失ったものが何だったのかを知りたい。細かな筋立てを今は覚えていなくても、彼が過去を追う姿には、そうした痛みが重なっていたと思う。
上海で重なる、過去と現在
舞台となる上海の印象も残っている。人が行き交う異国の街の雑踏や熱気。そして主人公にとっては、かつて自分が暮らし、両親と過ごした場所でもある。同じ街に、目の前の風景と子ども時代の記憶が重なっているように感じた。
大人になって戻った街を歩いても、昔の時間へそのまま戻れるわけではない。覚えていた場所を見つけることと、そこで過ごした日々を取り戻すことは違う。上海が印象に残っているのは、単に珍しい舞台だったからではなく、主人公がそこに自分の過去を探していたからかもしれない。
物語の上海には、戦争の影も差している。個人の記憶をたどる旅の先に、その人の願いだけでは動かせない時代がある。街の細部を正確に思い出せるわけではないが、雑踏のある風景の中で、過去と現在が離れがたく結びついている感覚は覚えている。
2冊に共通する切なさ
『わたしを離さないで』では、登場人物たちの過去の記憶が、彼らの生きる現在と結びついていく。『わたしたちが孤児だったころ』では、探偵となった主人公が、自らの子ども時代へ戻ろうとする。どちらも、過ぎた時間が終わったものにならず、その後の人生に残り続ける話として、僕の中ではつながっている。
もちろん、これは今の記憶の中での並び方だ。2冊を読んだ順番や、当時どこまで作品同士を比べていたかは覚えていない。ただ、より強い印象を残した一冊と、上海の情景を伴って残った一冊。その2冊が、共通する苦しさとともに思い出される。
この記事で扱った本
- Amazonで見る
わたしたちが孤児だったころ