理解できない世界に、ページをめくらされる――村上龍『エクスタシー』
村上龍の作品を続けて読んでいた頃に手に取った一冊。
『エクスタシー』という題名にも惹かれたのだと思う。何が描かれているのかを知らなくても、この言葉だけで、穏やかではない世界を想像させる。
それまで読んできた村上龍の作品には、過激で、退廃的で、簡単には理解できない人間たちが登場していた。本作にも、そうした世界を期待する気持ちがあった。
物語は、ニューヨークで語り手が不思議な日本人ホームレスと出会うところから始まる。そこから、性や支配をめぐる、日常の感覚では捉えにくい世界へ入っていく。
ただ、今となっては、細かな出来事を順番に説明できるほど覚えているわけではない。
残っているのは、物語の中に漂っていた退廃的な空気と、人間の欲望をためらわずに描く文章。そして、よく分からないのに先を読みたくなる、不思議な引力である。
登場人物よりも、その世界の空気
登場人物の気持ちを理解するよりも、彼らがいる異様な世界の空気に引き込まれていた。
なぜそこまで求めるのか。なぜ、その関係から離れないのか。
こちらの日常の感覚で考えても、すぐには答えが出ない。分からないまま、物語は先へ進んでいく。
それでも読めてしまう。
自分が納得できる行動だけをする人物が登場していたら、こんな印象は残らなかったのかもしれない。理解の外側にいる人間を、理解の外側に置いたまま読ませる。その力があった。
過激さの奥にある、孤独と空虚さ
表面にあるのは、強い刺激である。
しかし、僕が感じたのは、それだけではなかった。欲望が激しく描かれるほど、その奥にある孤独や空虚さも見えてくるようだった。
誰かと深く関わっているはずなのに、温かいつながりとは違う。
相手を強く求めていても、それによって安心できるとは限らない。近くに人がいることと、孤独ではないことは、同じではないのだろう。
小説がその答えを示していたかどうかまでは、今の僕には言えない。ただ、刺激の強い物語として読み終えたわけではなく、どこか空っぽな感触も記憶に残っている。
そのため、読後に明るい気分になれる一冊ではなかった。
面白かったとは思う。
でも、面白いという言葉だけでは、読んでいたときの感覚をうまく説明できない。
もう一度読むなら、少し気力が要る
関連する『メランコリア』や『タナトス』は読んでいない。僕の記憶にあるのは、この『エクスタシー』1冊である。
今、もう一度読みたいかと聞かれたら、少し迷う。
嫌いだったわけではない。むしろ、理解しにくい世界に引き込まれ、面白く読んだ記憶がある。
ただ、気軽に開いて、懐かしい場面を楽しむような本ではない気がする。あの空気の中へもう一度入るには、それなりの気力が要りそうだ。
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