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『脳にいい勉強法』を読んで · 読書の記録

読み返しても、身につかない――苫米地英人『脳にいい勉強法』

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本をひと通り読む。

大事そうだと思ったところを、もう一度読む。それでも、自分の中に取り込めた感じがしない。

当時、そんなことを感じていた。

読んでいる間は分かった気がする。なるほどと思うところもある。けれど、本を閉じたあと、自分の考えとして使えるのかとなると、心もとない。

何が違うのだろう。

読む量が足りないのか。理解の仕方が違うのか。それとも、読み返すだけでは足りないのか。

苫米地英人の『脳にいい勉強法』を手に取ったのは、速読の本なども読んでいた頃だった。もっと学べるようになりたいという気持ちがあったし、何か、自分の壁のようなものを越えたかったのだと思う。

覚えるだけで終わらない学び方

本書は、認識力、理解力、応用力、記憶力、学ぶ意欲など、いくつかの側面から勉強を扱っている。英語学習や、生活・習慣についての章もあり、暗記の方法だけに限らない構成である。

細かな方法を今も覚えているわけではないし、どれが自分に合っていたのかを、はっきり説明できるわけでもない。それでも、学び方そのものを見直そうとしていた時期の一冊として、記憶に残っている。

方法を探していた時間も、面白かった

読んで得たヒントを、何かしら試した記憶はある。

ただ、その結果、十分に身につくようになったのかというと、そこまでは言えない。読んだものを取り込めない感覚が、すっかりなくなったわけではなかった。

付属の音源CDも、聴いたと思う。詳しいことは覚えていないので、その効果について語れるものはない。

本書を振り返って、これで解決した、と書けないのは、そのためだ。

けれど、解決しなかったから、読む意味がなかったとも思わない。

普段とは違う理屈に触れ、自分の学び方を考える。今まで何気なくしていたことにも、別の方法があるかもしれないと思う。

その時間自体に、面白さがあった。

何歳までに、という期限

今思うと、当時は少し生き急いでいた。

何歳までに、こうなっていたい。

その目標を持つこと自体は悪くないのだろう。ただ、僕はそこに、自分を当てはめすぎていた気がする。

こうなるはずだ。ここまでには、できるようになっていたい。そう思うと、今の自分との間にあるものを、早く埋めたくなる。

学ぶことにも、その気持ちが入り込んでいたのかもしれない。

読み返しても取り込めた実感がなかったときのもどかしさには、そうした焦りもあったのだと思う。

もちろん、当時の向上心まで否定したくはない。

もっとできることがあるはずだと思って、本を手に取る。その気持ちがあったから、出会えた考え方もある。

遠回りや妥協を経て、分かることもある

今は、当時とは少し違う。

思っていたとおりにならなかったこともあるし、いろいろな妥協もしてきた。それをすべて、納得のいく選択だったと言うつもりはない。

それでも、その時間を経て、そういうことだけではなかったのだと思えるようになった。

遠回りしたから気づいたこともある。思うようにならなかったから、見方が変わったこともある。

学ぶことについても、今は、使ってみたり、人に説明したりすることが必要だと思っている。読んで分かった感じと、自分で扱えることの違いは、そうした場面で見えてくるのだろう。

同時に、理解に時間がかかることも、以前より受け入れられる。

読んだ直後に、全部を自分のものにできなくてもいい。あとで使おうとして分からなくなり、また戻って考える。そういう時間も含めて、学ぶことなのかもしれない。

読んだことが、いつ自分のものになったのか。

その境目は、今もはっきりしない。

ただ、すぐに手応えがないことと、何も残っていないことは、同じとは限らない。昔読んだ本を思い出しながら、今の僕はそんなふうに考えている。

この記事で扱った本